Event

お別れのとき

朝早くからお別れの儀式、時間間違えて慌てて家を出るも通勤ラッシュで道路も混んでたりもして、ちょっと遅刻
ギリギリ間に合ってお別れも出来て、出棺にも手伝えた
その後甲府の斎場に行って荼毘に付された
しかしこれも地域柄なのか、こちらの斎場の職員さんの納骨の仕方を見ていてちょっと乱暴だなぁと
見慣れている青梅の斎場は遺骨の説明を丁寧にしてくれるし、とても丁寧に遺骨を扱ってくれているのを見ているだけにそう思うのかも知れないけど、こっちではこれが当たり前なのかなぁ
そしてまた昨日の葬儀場へ行って告別式と初七日の法要
素敵な声のご僧侶三人による見事なお経の三重奏の中、眠気と闘うのが大変だったw
こうして聞くとお経って結構ロックだねw

それから今回お寺さんがこんな素敵なしおりを作ってくれた(きっといつも作っているんだろうな)
宗派に関する事や葬儀の流れ、叔母の戒名についてとても素敵に分かりやすく解説されている
戒名って全部のことを指すんじゃないんだとか初めて知って勉強になった
そしてこんな素敵なことを思い考え付けていただいたんだって分かってちょっと感動
「道号」についてはほんとそうだもんなぁと思ったし

そしてひと通り法要が終わった後、自身も叔母に可愛がってもらったというご僧侶による法話がまた心に深く染み渡って
生前の叔母の人となりと笑顔が思い出されてホロっと
こういう丁寧なご供養をいただくと、まあ高い費用も仕方ないかとw

それから久しぶりに会った叔父たちの老いぷっりはもちろんだが、久しぶりに会った従兄弟たちのオジさんオバさんっぷりにちょっとびっくり。
まあ向こうからしても同じ思いだとは思うけどw
こんな時でないと会うことも無いしね
まあお互い似たような境遇で大変そうだけど、まだ健康でいないとね

お別れの夜

今日は先日亡くなった叔母の通夜式
こっちのしきたりなのか自宅で納棺と出棺をするようだ
玄関を入ると一番目立つ場所(以前自分がデザインした飾り棚ね)に先日手向けた枕花が素敵に飾ってあった
そして納棺師さんにキレイにお化粧された叔母が既に棺に入っていて、皆で最後の着飾りをして送り出す

そのあと身延線の南甲府駅脇にある斎場へ
入口を入ると正面に生前の写真と叔母の書いた大きな書が飾ってあった
知らなかったのだが、書道の師範代だったらしい 昔から書道は好きだったと聞いてはいたけど
確かに素晴らしい達筆だった
そして祭壇には叔父が撮ったとても素敵な遺影が飾られていた
葬儀の最後に僧正さんから通夜の由来についての講話があって、通夜の意味が良くわかった
今夜は個人を偲んでまた献杯だw

で、通夜祭も滞りなく終わり再び叔母の棺は家に帰るとのこと
これもしきたりなのかと思ったが、生前家に帰りたがっていた事から葬儀屋さんにお願いして一旦また家に戻すことにしたらしい
あまり無いことだけど故人の望みじゃね、明日はまた家でお別れの儀式をして出棺して葬儀場へ行くことになる

それはそうと今日久しぶりに会った叔父があまりにも弱っていてびっくり
叔母が亡くなって気をしちてるのもあるだろうけど、ちょっとこの変わりようには心中穏やかで無い
下手すりゃウチの親父より弱々しい感じすらする
聞けば自らも病気も患っているとのこと
そこへ来てのこの訃報は叔父にとっては相当ショックなんだろうな
憔悴しきっているのでこの後がちょっと心配

極感の冬の嵐の中で仕事

予報どおり冬の嵐に見舞われた今日のサンメ
降りしきる雪、束の間の晴れ間、再び襲い来る猛吹雪
そんな極寒の中、恒例の大人の技術戦の検定員No.4をおおせつかり
突然の身体的トラブルに見舞われ、運営に迷惑をかけつつ
なんとか任務を遂行いたしました

息も出来ないくらい激しい暴風雪でゲレンデもスクールもガラガラ
身体も冷え切るくらいの極寒の中
スタッフのみなさんご苦労さまでした

真西に沈む夕日、茜雲と夕月
冬の嵐が去った寒い春分の日の夕方

素晴らしかった二日間 でも

早朝の横浜の街並みと朝の月
こうして見ると空が広い
そして雲が晴れて真っ白な富士山もお目見え
今回泊まった新横プリンス、こんな感じで眺めもいいし、横アリへのアクセスも良いし、部屋もシングルにしてはとても広いし、風呂もトイレ一体だけど湯船がデカくてゆっくり入れるし、駐車場も完備でさらに“出さなければ”ってことで延長もOK(グレーゾーンということらしいw)だし、今回のプランではビールとおつまみが付いて(ひと組だと思ってたら二組も)終わってみれば超お得だった。
次もあれば絶対またここを使おう。

今日も最高に良い天気の新横浜
BABYMETALのLIVEの日にしては珍しいくらいw
で、昨日辛うじて買うことが出来た今回のグッズ、ちょっと控えめにふた品のみ。
早速買った今回のツアーTシャツに着替えていざ参戦。

まずは会場で知り合いの石川のメイトさんと再会
そのままホテル近くのイタリアンで昼ビール飲みながら乾杯。
イタリアのビールって初めて飲んだけどなかなか美味い
そしてピッツアもニョッキも美味かった
そうこうしている内に開場周辺にはいつもの様に老若男女黒い輩が集まってきて
開場時間を迎えるとこんな感じで入口前をびっしりと埋めつく黒い集団
ホント毎度の事ながら凄いというか壮観
そしていつも思うのだが、開場開演は夕方なのに朝から開場周辺に集まって(いい大人が)みんなでわちゃわちゃしているアーティストのLIVEって他に無いんじゃない?
こういう文化も含めやっぱりBABYMETALは飛び抜けてる

そして今日の席はまたもやアリーナBブロック、昨日のCブロックとは反対側のほぼステージ真正面
ちょっと遠いがなかなかの好位置
昨日も見えたけどコントロールブースの真裏で色々とステージングの作業も見れてラッキー

で、横にはセンターカメラがあって何撮ってかも覗き見出来たりして
そして観客に埋め尽くされ、各カメラのテスト映像で観衆が映され、SEにBMTHの「Kingslayer ft. BABYMETAL」が掛かると会場のボルテージはMAX
この一体感がたまらない
そして今日もまた素晴らしい見応え満載の最高のLIVEだった

素晴らしい夢のような2日間が終わった
今回の伏線だったような名の会場から始まった快進撃
また今回のアベンジャーズ時代の“穴”を埋めるようなセトリ
単に誕生日というだけでなく、この一年近くの功績で真に“MOMOMETAL”が誕生したって感じ
本当に誕生日おめでとう🎉そしてありがとう
そしてまた呆れて送り出してくれたみ〜さんには感謝。
昨日は誕生日だったのに・・・誕生会はまた後日。

と、ここまでは良かったが帰りの道中鼻づまりと喉の痛みが強くなり、境川P.Aまでなんとか辿り着き、そこで寝落ちするように暫し爆睡。
30分くらい寝て楽になったので、家に戻って熱を計ったら36.8℃、コロナの検査してみたら・・・出ました陽性マーク😱
なんとなく風邪っぽい感じはしていたんだが、熱もそれほどなかったし、辛くもなかったんだけど・・・う〜んまさか、よりによってこのタイミングで😓
とりあえず急いで色々準備して仕事部屋に隔離、幸い明日休みだったみ〜さんも来週いっぱい経過観察となってしまった。
ホント申し訳ない😥🙇‍♂️

ほぼ一年振りのLIVE

本日の装備準備完了🤘
いざ新横浜へ
今回は圏央道使わず中央道の府中から下道で
初めての街をドライブするのは新鮮
でも最後の最後で道間違えたけど

ちょっと出遅れ気味でホテルに着くとチエックイン待ちが凄いことに😅
こりゃ会場周辺を楽しむどころかグッズ買うのも諦めるしかないかも
30分くらいでようやくチェックイン

早速戦闘服に着替え準備してひとまずグッズ売り場へ
意外と空いてる?と思いきや、会場内は開場一時間前にもかかわらず恒例の大行列😅
それでもなんとかお目当てのTシャツとキーホルダーを買って、急いで部屋に戻って置いてくる。
今回ホテルが近いのはとても便利

再度会場に行くといつもの様に真っ黒い集団で入口付近は大混雑
毎度思うんだけどもうちょっとスマートに入場できないんだろうか

で、チケットよく見たら今日はアリーナ席、しかもほぼど真ん中の好位置
ちょっと遠目ではあるけど前を遮るの物もなくじっくり堪能できた
懐かしい曲が目白押しの今日のセトリ、MOMOMETALの生誕祭ってこともあって会場は大盛り上がり
やっぱりこの一体感はたまらない

そして終わった
鳥肌立った、やっぱりスゲェ
特にMAYAの乱れ髪のSU-ちゃんにやられたw
そしてMOMOちゃんてああいう歌声なのね
明日も楽しみ
今夜は一人駅そばの焼き鳥屋で焼き鳥尽くし
ここの焼き鳥美味い!

季節の変わり目と拝命

暖かいような寒いような、まるで冬と春の境のような陽気の今日のサンメ
でもゲレンデはすっかり春スキーのようでこの先が思いやられる

そして夜はクラブ総会という名の焼き肉パーティーwに出席
上質な肉をいただいたのはいいが、脂がもたれて・・・もうすっかり焼肉を受付ないお歳頃、上カルビなんて以ての外😅 ロースとハラミをほどほどに頂いてきた。ビールも飲めないしね。
そして“役員会議”と言う“あみだくじ”によって😅僭越ながらクラブ会長を拝命した。
あと2年は在籍しないといけない羽目になっちゃったw

新年、区切りの法要

本日は義母の四十九日の法要
ちょっと風は強かったものの、暖かく朗らかな良い天気の中
和尚様のご供養ののち、御霊も生まれ故郷が見渡せる日当たりの良い場所に無事安置出来きた。
急逝からあっという間でしたが、ひとまずこれでひと段落

そして義母に大好きだったコーラとお寿司をお供えして、皆で和やかに会食し法要は終了
それにしてもこの角度でみると義父の名前ってなんか凄いなw

58回目の12月20日

黄金色の朝焼けの中に薄らと金色のサンピラー
太陽柱が現れた静かな58年目の朝
ちょっと縁起が良い感じ

そして今年もまた推しの歌姫と一緒にひとつ歳を重ねました。(あと元パトロール隊長とw)
今年は新年早々の復活祭から始まり4月の新体制発表と始動、ワールドツアーに数々のフェス出演と
怒涛のLIVEと快進撃に嬉しくもあり体調の心配もしたけど、海外のファンカムを見る限りメンバーみんな、何かが吹っ切れたように楽しんでいる姿を見ていろんな意味で良かったなと。

そして何より嬉しかったのは4月のぴあアリDay2のLIVEのあの一番感動的なシーンにBlu-rayに一緒に映り込めたこと😆(丸の部分が自分)
このBlu-rayは家宝にしようw
ただ今年は村のPubが休みで、一緒に誕生を祝えなかったなのが残念😢

お別れの日の夕日と満月

旅立ちの日の夕日
お別れの日の満月
11月22日11時44分、88歳の生涯を閉じた義母は本日無事荼毘に付された。
しかしここまでゾロ目で揃えてくるとは・・・
主治医も驚愕する衝撃の検査画像を見ながら余命宣告を受け、覚悟を決めて我々が山へ戻ってきた翌日、突然容体が急変し敢えなく逝ってしまった。
その日から基礎の乗り込みでどうしても現場で指示しなくてはいけないくてすぐに病院に行けず自分は立ち会え無かったが、最期の時に間に合ったみ〜さんによると、最後は一筋涙を流したものの穏やかに息を引き取ったそうだ。

突然の旅立ちだったけど、逆に苦しむ時間が少なくて良かったかもしれない。
亡くなってからもほんとただ寝ていて今にも起きそうなくらい穏やかな表情だったし。
そして本葬をあげ荼毘に付され、見事に焼き残った骨折で入れたチタンの人工骨と共に納骨され旅立っていった。
晩年は認知症等もあったりしたけど、今は大好きなお菓子でも食べながら極楽浄土へ旅してると思う。
無事に四十九日の旅が終わることを祈ります。
そしてウチの奥さんをこの世に授けてくれてありがとうございます。
それにしてもこの世で最後に乗った霊柩車のナンバーが偶然だとは思うけど「82-82」とはね。

お別れの夜

本日は通夜祭。
その前に午後から納棺式が執り行われた。
亡くなってからもただ寝ていて今にも起きそうなくらい穏やかな表情で横わる義母。
突然の訃報に驚いただろう妹弟、親戚も未だ信じられない様子。

そして納棺師さんにきれいに身支度をしてもらい、棺に納められ納棺師さんは退出。
家族や親族が見守る中、代わって葬儀屋さんの女性担当者が何やら真綿を沢山持ってきて作業開始。
最初何をしているんだろうと思ったけど、段々と「あっ、着物を作っているんだ」と解った。
襟や帯、帯締め、さらに羽織までなど見事な手捌きで真綿でこさえた白装束に着飾るのをみて感心しかり。
聞いたらまず入社して最初に覚えなければならない所作らしい。
今は数ヶ月研修があるらしいが、彼女が入社した頃は実務と業務後の自主練で覚えたらしい。
これもある種職人技だな。
そして棺桶に蓋をして納棺の儀は終了。

元々仲の良かった賑やかな妹弟、親戚、通夜を待つ間も賑やかで(汗)
そしてお坊さんが来場され、義父と我々夫婦でご挨拶、その席でまた驚愕の事実が。
今回初の仏様であるので、四十九日の法要の際に位牌は元より仏壇も用意して魂を入れるのだとか。
一同「えっ?」って感じ。数日前に仏壇は要らないよねって話でまとまっていたのでこれは寝耳に水。
「小布施」に、「御車代」、「御膳代」に「茶湯料」さらに「入山料」に「位牌堂用作成料」そして仏壇仏具・・・
いったいいくら掛かるんだって感じ(汗)
ウチの母親の際がその辺りの費用が無かっただけにこれにはちょっとびっくり。
お葬式前にそれどころでは無い感じ(汗)
まあ檀家に入るんだから仕方ないんだろうけど。仏式恐るべし。

そして定時になりほぼ身内だけで通夜を行い、賑やかなお浄めのお膳を共にして、誰も何も言わなければいつまでも続きそうな勢いだったので程々に〆をして本日の葬儀は終了。
いやはや段取りに受付に進行の打合せや誘導、疲れましたw