ゆく年

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Goodbye 2017.

曇り空の隙間から最後の夕日が沈んでいきました。

今年は故郷・青梅の東の外れより、ギリギリ間に合った(^^;)

例年だと今頃最後のスクール仕事を終えて、村のPubでお疲れGuinnessを頂きながらカウントダウン待ちなのだが、今日は実家で年越しそばを食べながら「里見八犬伝」(^^;)薬師丸ひろ子が若い(笑)

今年は年初から怒涛の一年だった気がする。

特に夏からは覚悟の連続で気が抜けない、でもいろんな人の思いやりを感じた日々だった。

そして最後は別れと忙しさと安堵の入り混じる濃い一週間。

まあとにかく無事に終わって良かった。

来年はまた色々考えなきゃいけない年になりそうだけど、何はともあれ皆さん良いお年を〜。

弔い

昨夜寝ようと二階に行って床に着いたら、階段の下の方から『うぉぉ〜〜』という警蹕(けいひつ)のような低く響くような声( ̄□ ̄;)!!

父親のいびきでは無いちょっと不気味なその声に一瞬ビビったが、神様が迎えに来たのかなと思ったらなんかホッとした。

でも、み〜さんに聞いたら聞こえなかったって(寝ていたようだし)いうので気のせいかもしれないが(^^;)

そんなことで気が抜けたせいか、今日の寝起きはドッと疲れが出た感じで身体が重い・・・

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で、暮れの買い物に出るついでにみ〜さんと二人で同級生がやっている近所のうどん屋“さぬき”でお昼。

母が生前入院するたび退院すると必ず『食べに行こう』って真っ先に来たのがこの店。

そしてうどん屋にも関わらず必ず頼むのがここの生姜焼き定食。

先月一週間だけ家に帰ってきた時も『出前を取るっ!』って騒いだので電話したのだが、生憎この時臨時休業していて願いが叶わなかった。

その後また入院した後も度々食べたいって言っていながら、結局願いが叶わないまま逝ってしまったので、弔いも込めてうどんの他に生姜焼きをオーダー。

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事情を話してひと切れだけ持ち帰らせてもらったら、うどんもサービスで持たせてくれた。

早速夜に煮込みうどんを作り、大好きだった生姜焼きと一緒に祭壇へ。

これで少しは喜んでくれたかな。

じゃあね

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今朝も雲ひとつない快晴。

昨夜は久しぶりに母親の気配も無く穏やかな夜だった。

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で、朝準備をしていると、家に忘れてきたはずのネクタイが掛かっているのを発見( ̄□ ̄;)!!

実家に着いて早々あれだけ探して無くて、仕方なく新しいのを買ったのだからあるはずがない。

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もしや父親のかと思ってよくよく見たら、八ヶ岳のクリーニング店のタグが付いているので自分のに間違いない。

み〜さんと顔を見合わせ、またやりやがったな、今度は八ヶ岳まで行ったかと朝から大笑い。

そんな不思議な出来事の中準備して斎場へ。

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昔の写真を見ながら静かに時間が流れる、参列者が集まってくる前ののんびりとした祭壇前のひとコマ。

そして昨日に引き続き従兄弟の神職によって葬場祭、仏式でいう初七日に代わる“十日祭”を行った後に出棺。

祭壇を飾っていた沢山の花と参列者の皆さんに書いてもらった最後の手紙を入れてもらって最後のお別れ。

年の瀬の押し迫った忙しい時期ってことで、家族と極々近しい親族やお隣さんだけの家族葬だったけど、悲しむというより実に和やかな雰囲気のとてもアットホームな葬儀だった。

これも生前の母のキャラクターがさせること。

ただ仲良しだったお隣のおばさんの『もう一緒に買い物に行けなくなっちゃった』って声かけにはさすがに皆泣けたけど。

そして斎場から火葬場に移動して本当に最後のお別れ。

知らない人に母のことを聞かれた際によく“リアルなサザエさん”みたいな人だって答えていた。

姉弟、姉妹に加え大勢いるいとこ連中の中でも一番上の姉貴であり、誰も逆らえないまさにゴッド姐ちゃん的存在。

うるさいくらいのおしゃべりで、振る舞い好きの世話焼きでいろんな席で仕切りたがる仕切り屋で、親族の中でもいち目置かれる存在。

ある意味とても面倒だけど(^^;)でもとても愛される人だった。

だから火葬を待つ間の会食の席で、親族の催事でいつも聞こえていたうるさいほどの母の仕切る声が聞こえないことに皆ちょっと寂しそうだった。

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そしてなぜか大好きだったピンク色に染まったお骨になった母を連れて実家へ。

最初に従兄弟がお祓いをして、葬儀屋さんが設えてくれた祭壇に安置して“帰家祭”を行ってもらい、すべての神事が終了。

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長かった病院生活からやっと家に帰ってこれた気分はどうかな?

今回の病気が発覚してから25年。

いろいろな治療をしつつ人生の1/3をこの病気と付き合ってきたことになる。

ここ数年は父親の介護も加わり更に大変だったと思う。

何はともあれよく頑張った!お疲れ様。

そしてこの短期間に運良くとんとん拍子に事が運び無事葬儀が終えられたのも、関係者の皆様のおかげであるけど、なんだか不思議な力添えがあったような気もする。

これは母や祖父祖母、山の神様のおかげかもしれない。

そんな感傷に浸りながら久しぶりに家に戻った母の祭壇の傍でコレ書きながら一杯飲んでいる。

おくりびと

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別れの朝の日の出。

なんだか昨夜は妙に寝苦しかった。

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午前中いろいろ準備をした後、通夜式に向け納棺式をするため斎場へ。

道中ウチの名前の看板が道沿いに立っているのは妙な気持ちである。

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そして開場前には母の名前が入った看板が。

1日一組だけっていう斎場なので今日はウチが貸し切り。

そして“おくりびと”こと納棺師さんたちによりきれいに身支度がされ、参列者も集まったので納棺の儀式が始まる。

素敵に化粧されて静かに眠っている母の手と足を皆で拭いてあげ、その後自分と妹で足袋を履かせてあげる。

そして皆で棺に移し、一緒に入れる記念の物と好んで着ていた服を着ているように着飾ってもらって納棺終了。

いつもはこの後に参加するので、こんな感じで儀式をするのかって興味深かった。

そしてなぜ納棺師の方が“おくりびと”と呼ばれるのがわかった。

とても丁寧な所作と対応に感謝。

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そしてセレクトした母の写真がスライドショーされる祭壇に移動。

花が好きだった母が喜びそうな沢山の花で飾られた祭壇は思っていた以上に素敵な出来栄え。

このデザインにして良かった。

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神職がなかなか到着せずちょっとヒヤヒヤしたが、ほぼ予定通り通夜祭開始。

今回は神主の家の長女であるてことでどうしても神式で送ってあげたかったので、母が愛してやまなかった亡き叔父に代わり息子で我々の従兄弟にお願いして神事を行ってもらった。

聞けばそれぞれが生前、『私が死んだらあなたが送ってね』と言っていたらしいので、母も本望だったろうし、叔父も喜んでいるだろう。

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故郷、御岳山で一二を争う声の持ち主だった叔父を彷彿させる従兄弟の祝詞奏上と警蹕(けいひつ)の声に、狙い通りと思わずニヤリ(笑)

シビれる声に聞き惚れながらお願いしてよかったと万感の思いだった。

そしてやはり神式の所作は素敵だしとても馴染む、この心地よさは身体の中にあるDNAのせいなんだろうなとつくづく思う。

そして御霊を移され無事通夜祭は終了、和やかな雰囲気の中でお清めの会食。

宿坊の娘だけあって人が集まるのが好きで、世話付きで、サービス精神旺盛で人に振る舞うのが大好きだった母も久しぶりに大勢と会食できてさぞ嬉しかったに違いない。

こちらもこれだけはきちんとやらないと怒られると思ってしっかり努めたし(笑)

しかし話には聞いてはいたが、喪主側が本当に大変ってのはよ〜〜〜く解った(^^;)

あと1日、頑張らないとね。

支度

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今日は朝から母親の面会を希望するお客様の対応に斎場に行ったり、葬儀に使う母親の写真のセレクトをしたり、旅立ちに持たせる品々を揃えたり、明日の準備に奔走。

師走の街は新年を迎える準備で賑わっているのを横目に、初めての葬儀の準備の大変さと慌ただしさを実感。

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そんな中、一応新年を迎える準備もしっかり。

ちゃんと準備しないと母親に怒られるからね(^_^;)

そして今日もまた実家に来ているようで、み〜さんがまた二階で気配を感じたとか。

現に茶の間でこれを書いている際も気配がするし(笑)

また明日も長い1日になりそうだ。

気配

一旦山へ戻ってお互いいろいろやることを片付け、遺影用の写真のデータを準備したり、身支度をして夕方再び実家へ。

そして父親や妹夫妻と一緒に遺影の選定。

以前祖母の遺影に使った写真に一緒に写っていた元気な頃の姿を満場一致で決める。

その後妹夫妻といろいろ歓談、命日前日と当日と今日の不思議な話で盛り上がる。

前日、誰も居ないはずの親戚の家の二階で不思議な足音がしたとか、妹の家に何度かワン切りの電話が鳴ったとか、自分も夕食の仕度中にいきなり左肩がボキッとすごい音がして、あれだけ痛くて動かし辛かった方が急に楽になったしね。

もしかしたら、もうそろそろ逝くから集合しろって合図だったのかしれない(^^;)

そして今日は今日で、二階でゴトゴト音がするのでみ〜さんが何かしているのかと思って聞いてみたら、その時は入浴中で二階にはいなかったとか(^^;)

さらに普段母親がいた茶の間に居たら、み〜さんが『お母さんがいる気配がする』って言い出したり(^^;)

今日は忙しくて斎場に安置していただいている母親に誰も逢いに行かなかったので、家に帰ってきたのかもf^_^;)

なんか生前中も病院に居ながらいろいろな所に行っていたようだし、あながち気配を感じたのは気のせいではないかもしれない(笑)

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そんな中、やっと家の主導権を独占した気になった自分の愚行が発覚し皆に総すかんを食らい、一人寂しく寝支度をする父親。

でもその愚行のおかげで実家にWi-Fi環境が整ったんだけどね(笑)

X’mas 旅立ちの朝

午前3時過ぎ、寝ていると居間に置いてあった携帯が鳴っているのに気付き慌てて出ると、妹からの『急変して危ないから急いで来て!』という連絡。

見るとその前に病院から着信も(・・;) しまった!うっかりして携帯を枕元に置いておかなかった(︶︿︶)

慌てて準備して急いで病院へ向かう。

途中何度も『今どこ?』電話が入る中、5時頃なんとか叔母や妹が待ち受ける個室に移された病室へ。

見るともうほとんど脈は触れていない状態、み〜さんと二人で声をかけると微弱ならが脈を打つ。

なんとか待っていてくれたようだ。

しかしそれももう限界で、父親の到着を待つことなくお医者さんにより5時25分に永眠を確認。

あと10分あれば父親も間に合ったのだが残念だ。

その後、身支度してもらって霊安室へ移動。

悲しむ暇もなく葬儀社の選定と連絡をしてお迎えに来てもらう段取りを迫られる(^^;)

この暮れも押し迫った時期だし、前々からやるなら家族葬でって話も出ていたので家族葬を専門にしている民間の葬儀場に連絡して1時間半ほどで迎えに来てもらう。

長い間大変良くしていただいた病院のスタッフの皆さんにお礼を行ってみんなで葬儀場へ移動。

すぐさま葬儀の様式や祭壇のデザイン、式典の内容などを打ち合わせ。

タイミング良く式場も火葬場も空いていたので28、29で葬儀を終わらせることが出来るということでお願いする。

元々が神官の家の長女ということで、なんとか神式で葬儀をしたいと思い、暮れの忙しい中無理を言って神主の従兄弟に葬場祭をお願いしたところこれも大丈夫って返事をもらえたが、もうちょっと遅かったら無理だったようだったので、これも母親の計らいだったのかも。

自分やみ〜さんに仕事が終わるのを待っていたかのように、次に朝に眠りに付くし、何よりX’masの朝に逝くとは・・・仕切り屋の母親らしい(笑)

本当悲しむ間もなく慌ただしいX’masの1日が終わり、準備をするため一旦山へ帰宅。

いやぁ実に疲れた(^^;)

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幻想的だったX’masの朝の神々しい光景。

そして旅立ちと別れの朝。

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最初に病気が発覚してから25年。

いろいろな治療をしつつ人生の1/3をこの病気と付き合ってきたことになる。

みんなで書いていた介助日誌の最後のページは自分が担当。

よく頑張った!

聖なる上棟式

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今日はクリスマスイブ。

朝、スキー場で配者業務(だけw)した後、午後現場では上棟式。

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暖かな日差しが差し込む穏やかな陽気の中、清里の司祭により質素ながらアットホームなとても良い式典になった。

で、礼拝の後“命の水”で乾杯。

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とりあえずこれで年内の仕事の重要事項はすべて終了。

そして今日も特に何事もなく終わりそう。

静かな聖なる夜に感謝。

(写真は2004年のクリスマスイブのもの。)

初勤務

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今日のサンメ。

個人的には本日から業務開始、初日からしっかり書き初めしたり、パークで小学生やらチビッ子やらの相手をし、バッチリ滑って止まれるように仕立てた。

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世の中はX’masウィークエンド、ゲレンデでもシュールなトナカイが迷惑がるチビッ子を乗せてソリで滑ってた(笑)

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そして夕闇迫るゲレンデでしっかり研修もして本日のお勤め終了(‘◇’)ゞ

天気は怪しいが明日も頑張ろう。

懐かしい顔もたくさん集まってきてスクール詰所も賑やかになってきた。

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三日月が浮かぶ帰り際のゲレンデ。

とりあえず今日のところは何も連絡がないので大丈夫のようでひと安心。

複雑な思い

今日も日帰りで病院詣。

お昼に行くと元気そうにしていて、昼食も少量なれどちゃんと食べられた。

叔母とバトンタッチして昼食がてら買い物に。

その間ご友人が来てくれたようで、叔母と一緒に体を拭いてもらったようだ。

夕方、夕飯の介助に向かうととても苦しそうで、看護師さん曰く今鎮静剤を打ってもらったところだとか。

それでも今までにないくらい苦しそうで、夕食も食べられずこちらも見ていて辛くなるくらいで帰るに帰れず。

しばらくしてだいぶ落ち着いてきて、看護師さんも大丈夫というので後ろ髪引かれつつ帰宅。

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色々また難しい局面を目の当たりにして、メンタル的にどうしようかとも思ったけど、やっぱり山に戻ればココに寄らずにはいられず(^^;)

二日遅れではあったけど、バースデープレート頂いてきた。

母親が苦しんでいるこんな時にと複雑な気持ちではあったけど、店の店主達の温かい気遣いにちょっと癒された夜だった。